70年前の今日、昭和20年5月14日は
名古屋大空襲により名古屋城が焼失した日です。
◆炎上する名古屋城
背景の空が真っ黒に写っているのは夜だからではありません。
立ち上る黒煙が空一面を覆ったため、快晴の日中が
夜のような闇に包まれたのだそうです。
名古屋城は、関ヶ原の合戦後、江戸幕府を開いた徳川家康が
天下統一の最後の布石として、加藤清正、福島正則、
前田利光、黒田長政といった西国大名らに命じ
慶長20年(1615)に建てられました。
その規模、美しさは屈指であり、近世城郭御殿の
最高傑作として昭和5年には国宝に指定、
徳川家の威光を示す勇壮な天守閣とその南側に並び建つ
優美な本丸御殿は、現在、国宝になっている京都二条城の
二の丸御殿と並ぶ武家風書院造の双璧とされていました。
◆焼失前の名古屋城
戦後の復興にともない天守閣が昭和34年(1959)
に再建され、昭和27年(1952)に改めて
特別史跡として指定されました。
現在でも日本三大名城のひとつとして数えられていますが、
もし現存していれば間違いなく世界遺産になっていただろう
と言われています。
名古屋市では平成21年から本丸御殿の
復元工事が進められています。
江戸時代の文献、多くの写真、実測図を元に
総工費150億円をかけて当時のままの工法や材料で
再建するとかで、平成30年に完成予定だそうです。
現在は、入口にあたる玄関、謁見の場である表書院が
一部公開されています。
【上記 名古屋城公式ウェブサイト参照】
というわけで、
先週、GW明けに名古屋城へ行ってきました。
鉄筋コンクリートで再建されたので、
内部は博物館のようになっていますが、
外観はさすがに壮大で、何度訪れて眺めても感動します。
名古屋城と言えば、金の鯱(しゃちほこ)。
これ、雄と雌があったのはご存知ですか?
北側が雄で、南側が雌なんですって
。
大天守完成(1612)当時の金シャチは、一対で
慶長大判1940両分、純金215.3kgに相当する
金でつくられたそうな Σヾ(・ω・´○)ノわぉ!!
お城炎上の際に金の鯱も燃えてしまいましたが、
焼け跡から6.6キロの金を含んだ塊が発見され、
ここから金を精製して茶釜に作り直されました。
この金の茶釜は城内に展示されています。
そして、こちらが↓一部公開されている本丸御殿。
桧の香りも清々しく、まさに豪華絢爛、
金ぴかでございます。
狩野派の絵師によって忠実に再現された障子絵の数々を始め、
最高級の木曽桧が使われた柱や床、
折り上げ小組格天井、
美しい飾り金具など、
完成当時約400年前の美しさを現代に蘇らせ、
焼失前と同等の文化的価値を有するとされるだけあって、
どれをとってもただただ素晴らしいの一言です。
◆一番奥が上段の間、お殿様がお座りになられる場所です。
上段の間を前にして、当時のお殿様の暮らしぶりに思いを馳せると
タイムスリップしたような感覚に陥ります。
一部公開中の現在は無料で見学(名古屋城への入場料は必要)
できます。
一見の価値ありですよ〜♪
ちなみに、名古屋城が焼失した昭和20年5月14日は
私の父の母親(私の祖母にあたる人)の命日でもあります。
当時、名古屋城のすぐ近くに住んでいた父達家族は
この空襲の被害に遭い、少年だった父は母親と手をつないで
逃げましたが、混乱の中で離ればなれになってしまい、
母親だけが焼夷弾の直撃を受けて亡くなりました。
つないでいた手が離れていなければ、
父親も共に亡くなっていたかもしれません。
父は復元された本丸御殿を観ることはできなかったけれど、
もし一緒に訪れていたら、どんな思いで見て、
なんと言っただろう。。。
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