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去年、満開の桜を愛でながら
「これが見納めかな」と言った父が、
その言葉通り、今年の桜を見ることなく逝きました。
お釈迦様のお誕生日である4月8日、
15時41分でした。
先月14日に敗血症性ショックで緊急入院したものの回復し、
リハビリと経過観察のため別の病院に
転院するばかりになっていた矢先の出来事で、
亡くなる当日の朝も食事をして、
亡くなる30分位前まで会話も出来ました。
正直まだ実感がわきません。
でも、亡くなる前日の昼、ベット脇にいる私に突然、
「さちえ、オレももう85になるし、
もってあと二、三日だと思うよ。
このままではみんなの迷惑になるだけだしな」
と珍しく神妙な口調で言い、
その日の夜「今夜は泊っていけ」と
初めて母を病室に泊らせ、
亡くなる直前には、痛み止めが効いてきて意識が薄れゆく中で、
緊急入院して以来ずっと寝たきりだったにも関わらず
突然上半身をベッドから起こして皆を驚かせ、
集まっている家族をゆっくりと見回し、
その後、いつ亡くなったのかもわからないくらい
静かに永遠の眠りについた父。
父の言葉や行動を一つ一つ思い返すと、
結果として容態が急変して亡くなったけれど、
父にはもう全てわかっていたように感じます。
旅行好きで食通だった父のおかげで、
幼い頃から国内外問わずあちこち連れて行ってもらったし、
美味しい物もたくさん食べさせてもらいました。
家族行事のためなら、問答無用?で
学校も休まされたっけ(苦笑)
年をとって海外旅行が体力的に難しくなってからは、
夏は北海道で避暑、冬は沖縄で避寒するのが
両親の年中行事となり、子供が居なくて身軽だった私は、
毎年父親に呼ばれて一緒に滞在していました。
滞在先では、あーでもないこーでもないと
色んな話をしながら、親子でよく呑んだよね。
似た者父娘でぶつかり合うことも多く、
よその父娘さんの何倍も派手なケンカしたよね。
ほとんど事後承諾のようにして
さっさとアメリカに単独留学してしまい、
これまたよその娘さんの何倍も心配かけたね。
でも、たぶん、よその父娘さんの何倍も行動を共にして、
何倍も(何杯も か?)お酒を酌み交わしたとも思うよ。
待望の孫の顔を見せてあげられなくてごめんね。
でも、葬儀に参列してくださった父の友達が口々に
「お父さんはさっちゃんのことが可愛くて可愛くて
しょうがなかったんだから、その最愛の娘に
看取られて逝けたのは本当によかった」
と言ってくれて、
最期の最期で少しは親孝行できたのかなと。。。
戦争で幼くして母親を、
その後二人の姉、父親と立て続けに亡くし、
苦労して一代で会社を築き上げた父からは
たくさんのことを教えられました。
父の座右の銘
『信頼に勝る財産なし』
あなたの教え通り、時に不器用だとしても、
人と人との繋がりを大切にしながら、
正直に真っすぐに歩んでいきます。
あなたの娘として生まれてきて
本当に幸せでした。
ありがとうございました。
バイバイ、パパ
またね。
最後の旅行となったきほく千年温泉『季の座』にて