8月6日、広島は67回目の原爆の日を迎えました。
「核と人類は共存できない」
昨年に引き続き、広島市の松井市長が平和宣言の中で
述べたこの言葉は、我が国における反核運動の第一人者、
元原水爆禁止日本国民会議議長、故森滝市郎さんの言葉です。
森滝さんは広島出身、自身も原爆で右目を失いました。
戦後は、自らの被爆体験を語り、被爆者と原爆孤児支援、
核廃絶運動に、まさに私利私欲を捨てて半生を捧げ、
『反核の父』とも称されました。
また、核実験が行われるたびに、
原爆慰霊碑前に無言で座り込む姿は、
被爆都市ヒロシマの象徴として世界に広く知られ、
その座り込みは、1962年に開始して以来92歳で亡くなる
前年の1993年まで続き、475回にも及びました。
ところが、その森滝さんも、運動当初は『核の平和的利用』に
バラ色の未来を望んだことがあるといいます。
その被爆体験があまりに悲惨であったからこそ、
『あれほど恐るべき力が、もし平和的に利用されるとしたら、
どんなにすばらしい未来が開かれることだろうか』
と考えたと…。