[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
庭に面したエアコン室外機のホースに
アシナガバチが巣を作っているのを発見!(ノ><)ゝ ヒィィィ
ちょうど私の拳ぐらいの大きさです。ソォー |д・) コソ
区役所に電話すると駆除はしてくれないけれど、
駆除業者を紹介してくれるとか。
今日は土曜なので週が明けたら早速役所に電話するとして、
我が家の庭先に営巣したのも何かの縁、
それまで時間があるからちょっと生態を調べてみようっと。
ふむふむ。。。。 [PC]_ヾ(・_・ ) カタカタ
『アシナガバチはスズメバチと違って基本的には攻撃性が低く、
巣に近づいたり刺激しなければ襲ってくることはない』
へぇ〜〜〜そうなんだ。
『庭木や農作物につく毛虫などを補食する益虫であり、、、』
え、毛虫を食べてくれるの?∑( ̄Д ̄;)なぬ?
実は、今の季節、生け垣のレッドロビンとヤマボウシに
毒毛虫のヒロヘリアオイラガがごっそり発生するのです。
こいつら、葉裏にビッシリ群棲して葉をスカスカに食い荒らす
だけじゃなく、その毒棘にうっかり触れようものなら、
ハチに刺されたような電撃的で激しい痛みと
痒みと腫れを伴った皮膚炎を引き起こすらしく、
とはいえ、無有を庭に出すため農薬は散布できないし、
見つける度に、触らないよう細心の注意を払いながら
恐る恐る葉っぱごと剪定するしか術がなく、
毎年、駆除には頭を悩ませているのです。
『ミツバチやスズメバチと比べて巣の規模も100匹程度と小さく、
活動期間も4月後半〜9月と短いため(冬になると巣は空になり
再利用されることはない)生活に支障がない限り
自然のままにして様子を見守りましょう』
・・・・(・へ・;;)うーむ・・・・
そうはいっても、私は虫毒にアレルギーで
蚊に刺されただけで熱を持ってパンパンに腫れ上がる体質。
見守るならアナフィラキシーショックには気をつけて
絶対に刺されないようにしないといけない。。。
でも、刺される危険性はイラガも同じだし。。。
ていうか、むしろ攻撃性の低いアシナガバチより
どこに潜んでいるかわからないイラガのほうが厄介かも。。。
幸か不幸か、たまたま週末で区役所に電話できなかったことから
私の中で徐々にアシナガバチに対する認識が変わってきました。
アシナガバチvs.ヒロヘリアオイラガ
アシナガバチ>ヒロヘリアオイラガ
あのかくもおぞましいイラガ軍団を退治してくれるのなら。。。
この夏、思いきってアシナガファミリーに
庭先をお貸ししちゃおうかなぁ。。。(ー_ー;)。o O (思案中)
去年、満開の桜を愛でながら
「これが見納めかな」と言った父が、
その言葉通り、今年の桜を見ることなく逝きました。
お釈迦様のお誕生日である4月8日、
15時41分でした。
先月14日に敗血症性ショックで緊急入院したものの回復し、
リハビリと経過観察のため別の病院に
転院するばかりになっていた矢先の出来事で、
亡くなる当日の朝も食事をして、
亡くなる30分位前まで会話も出来ました。
正直まだ実感がわきません。
でも、亡くなる前日の昼、ベット脇にいる私に突然、
「さちえ、オレももう85になるし、
もってあと二、三日だと思うよ。
このままではみんなの迷惑になるだけだしな」
と珍しく神妙な口調で言い、
その日の夜「今夜は泊っていけ」と
初めて母を病室に泊らせ、
亡くなる直前には、痛み止めが効いてきて意識が薄れゆく中で、
緊急入院して以来ずっと寝たきりだったにも関わらず
突然上半身をベッドから起こして皆を驚かせ、
集まっている家族をゆっくりと見回し、
その後、いつ亡くなったのかもわからないくらい
静かに永遠の眠りについた父。
父の言葉や行動を一つ一つ思い返すと、
結果として容態が急変して亡くなったけれど、
父にはもう全てわかっていたように感じます。
旅行好きで食通だった父のおかげで、
幼い頃から国内外問わずあちこち連れて行ってもらったし、
美味しい物もたくさん食べさせてもらいました。
家族行事のためなら、問答無用?で
学校も休まされたっけ(苦笑)
年をとって海外旅行が体力的に難しくなってからは、
夏は北海道で避暑、冬は沖縄で避寒するのが
両親の年中行事となり、子供が居なくて身軽だった私は、
毎年父親に呼ばれて一緒に滞在していました。
滞在先では、あーでもないこーでもないと
色んな話をしながら、親子でよく呑んだよね。
似た者父娘でぶつかり合うことも多く、
よその父娘さんの何倍も派手なケンカしたよね。
ほとんど事後承諾のようにして
さっさとアメリカに単独留学してしまい、
これまたよその娘さんの何倍も心配かけたね。
でも、たぶん、よその父娘さんの何倍も行動を共にして、
何倍も(何杯も か?)お酒を酌み交わしたとも思うよ。
待望の孫の顔を見せてあげられなくてごめんね。
でも、葬儀に参列してくださった父の友達が口々に
「お父さんはさっちゃんのことが可愛くて可愛くて
しょうがなかったんだから、その最愛の娘に
看取られて逝けたのは本当によかった」
と言ってくれて、
最期の最期で少しは親孝行できたのかなと。。。
戦争で幼くして母親を、
その後二人の姉、父親と立て続けに亡くし、
苦労して一代で会社を築き上げた父からは
たくさんのことを教えられました。
父の座右の銘
『信頼に勝る財産なし』
あなたの教え通り、時に不器用だとしても、
人と人との繋がりを大切にしながら、
正直に真っすぐに歩んでいきます。
あなたの娘として生まれてきて
本当に幸せでした。
ありがとうございました。
バイバイ、パパ
またね。
最後の旅行となったきほく千年温泉『季の座』にて