私が両親に連れられて一番最初に沖縄に行った時、
沖縄はまだアメリカ統治下で、パスポートが必要でした。
実家の仕事の関係もあり、1972年の本土返還後も、
毎年のように沖縄本島や離島へ遊びに行ったり、
結婚後は、新日本フィルハーモニーのコンサートマスターを
定年退職したG太さんパパが、沖縄県立芸術大学に赴任したり、
この数年は、実家の両親がリタイアしてロングスティしていたりで、
物心つくかつかない頃から今日まで、沖縄とは何かと縁があり、
幾度となく訪ねる機会がありました。
世界一を誇る美しい海、
明るくて気さくな人々、
でも、
青い空を見上げれば、米軍の戦闘機が飛び、
車を走らせれば、広大な土地を米軍基地が占め、
ここは日本なのかと思わされます。
その反面、店の看板には英語表記も多く、
切っても切れない、沖縄の人々の生活と基地との関係も垣間見え、
基地が多くの雇用を生み出しているという現実もあります。
独自の文化を築いていた琉球という王国が、
1872年、明治政府によって、
強制的に沖縄県として日本に組み入れられ、
第二次世界大戦時には、日本の防波堤として
15万人以上ともいわれる犠牲者を出し、
その後、27年間に及んでアメリカの統治下に置かれ、
常に日本政府によって翻弄されてきた沖縄の歴史、
人々のご苦労、悲しみ、怒り、色んなことを考えると、
私なんかが軽々しく口に出来ることではないのかもしれません。
それでも、
あのお坊ちゃん総理は、
いったいどのツラ下げて、何を考えて、何をしに
沖縄に行ったのだろうと思うと、
やり場のない憤りを覚えずにはいられないです。
あげく、
「あれ(国外、最低でも県外移設発言)は、
党の公約ではなく、代表としての私自身の発言」
と開き直りとも見える言い訳。
基地の撤去と経済的自立、環境保全、日米安保の見直し・・・云々
簡単な問題ではないことなど、最初からわかっていたはず。
自民党が米政府と取り決め、一旦は辺野古で落ち着いた案を、
鳩山さんが壊したという意見もあるようですが、
これまでの日本政府が沖縄に強いてきた
基地受け入れ容認とその代償としての補助金漬け政策、
政治家と建設業者が結託して山を削り、
海を埋め立てるだけのコンクリート政策では、
何も変わらないし何も好転しないことを、
沖縄の人々は感じています。
だからこそ、色んな矛盾を抱えながらも、
政権交代で何かが変わるかもしれないと、
総理の言葉に一筋の希望を見いだし、行動したのではないでしょうか。
旧海軍司令部壕で司令官の
大田実少将が自決する前夜、
海軍次官に宛てて出した電報を思い出します。
鳩山さんの功労をあげるとすれば、
今まで無関心だった内地の人々に、
沖縄が抱える問題を知らしめたことでしょう。
なんでもかんでも反対ばかりの社民党、
アメリカの言いなりで何もしてこなかったくせに、
パンドラの箱を開けた鳩山さんを非難し、
政争の具にしたい感ありありの自民党、
ついこの間まで沢尻エリカの離婚問題をトップで扱っていたと思ったら、
いたずらに「迷走」と騒ぎ立てるばかりのマスコミ、
なぜ、大人達は、この国の将来を見据え、
基地があることの意味、基地をなくすことの意味を検証し、
考えようとしないのでしょうか?