今日はこのブログを始めてから三度目の『
おせち』の命日でした。
留学時代、振って湧いたように突然目の前に現れたネコ。
子供の頃から、犬、猫、鳥、金魚と動物は色々飼ったけれど、
遠い異国の地、不思議な縁で出会い、学生時代、社会人、結婚といった
人生の節目を共に過ごしてきた
『おせち』と名付けたそのネコは特別で、私にとっては、
同志のような、親友のような、子供のような、かけがえのない存在でした。
今ほど飛行事情が厳しくなかった当時、
私の隣の客席を使ってアメリカから日本に来たおせち、
いつもいつも一緒だったのに、結婚して移り住む先はペット禁止で、
おせちを連れて実家を出られませんでした。
「またおせちと暮らせるように頑張るからね、
きっと迎えに来るからね」
しかし、現実は厳しく、日々の生活に追われ、
おせちを実家に預けたまま月日は過ぎ・・・
「おせち、具合が悪そうなのよ」
ある夜、母から連絡をもらって、強い胸騒ぎを覚えた私は、
いてもたってもいられず車を飛ばして実家に帰りました。
明け方、到着した私を、ふらふらになりながら
玄関まで出迎えにきたおせち。
私を待っていたかのように
逝ってしまったおせち。
突然現れて、突然いなくなったおせち。
私が一緒にいれば・・・
もっと早くお医者さんに行けば・・・
悲しみ、後悔、自責の念は、7年経った今も消えることはなく、
「おせち」声に出して呼べば涙が溢れます。
これを世間では『ペットロス症候群』と言うのでしょう。
こうして文字にすることが、わたしの心のリハビリなのかもしれません。
しめっぽくて、ごめんなさい。
今日だけは、ごめんなさい。
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